ガロのヒット曲「学生街の喫茶店」を思い出す

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学生街の喫茶店芸能

ちょうど私が大学3年生の時にヒットしたガロの歌「学生街の喫茶店」である。

大学1年の時の下宿は大学本部から自転車でないと帰れない距離にある朝夕食事つきの下宿だった。
親元を初めて飛び出しての一人の生活だった。
規則正しく食事をとるのが一番と考えての下宿選びだった。
たまには風呂にも入れてもらった。
ただ、慣れて来て様子が分かってくると、いろいろと問題も持ち上がってきた。

そのひとつは、その下宿には学生だけでなく社会人もいることだった。
私なんかクラブ活動で遅いのは常で、門限11時と言うのは正直だんだん無理になって行くのだった。
とにかく学生として初めての一人での生活である。
一般社会人の常識なんぞ持ち合わせてなどいなかった。
たまにクラブの先輩や同輩がやって来ては酒盛りとなると、もう手が着けられない。
そんなことが重なって、その下宿を出ざるを得ないこととなったのだった。
下宿の酒盛り
ちょうど、その時にクラブの同期が大学正門のすぐ近くの3畳一間の下宿が空いていることを教えてくれ、さっそくに近くの八百屋のおじさんにお願いして
リヤカーを貸してもらい、少ない引越し荷物を乗せて国道沿いに引越し大作戦敢行となったのである。
3畳一間で家賃は月3,000円、銭湯もすぐ近くで、大学正門まで2分となればこれ以上の贅沢は言えないわけである。
そんな下宿と大学正門のちょうど中間にあったのが、喫茶アメリカ。
20歳になってエコーと言う50円のタバコを買って、その喫茶アメリカでふかしてみた。
最初はそれこそ煙たいだけの代物だったが、大人になったと勘違いするには充分なおもちゃみたいなものだった。
エコーがその内両切りピースやロンピーへと進化していったのだった。
喫茶店
当時、大学正門近くには喫茶店よりも多かったのが、学生相手の雀荘である。
高校を卒業して大学に通い始めた頃には、そんな風景に少なからず違和感を覚えたものだった。
それは仕方ないことである。
高校時代の生徒手帳には、For Example 例えば、喫茶店に入る時には親同伴であること、映画は学校が薦めるもの以外は親同伴の場合に限り許すとか、事細かに規制された
生活を送っていた自分である。
さすがに、その雀荘の風景をすぐに受け入れろといわれても無理と言うものであった。

ただ、アメリカはまさに学生街の喫茶店であった。
コーヒー1杯で長々と議論する我ら学生を許してくれた当時のアメリカの店主にはやはり感謝しかあるまい。
学生街の喫茶店
そんな学生街の風景も、大学の郊外移転で様変わりとなったのが今の現状である。
いまは公園となっている大学本部跡地を昔二人で歩いた女房と当時のことを思い出しながら30年ぶりに歩いてみたのだった。