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第八章「ライツ社 レンズ開発の試練!」 

コラム 独り言 この記事は約 2 分で読めます。 31 Views

レモン ●会社員 (40)


ライカが発売された時代は、エルマー50ミリのF値が3.5という絞りは、明るいレンズでした。 フィルム感度はISO100はもちろんありません。今当たり前のように使われているISO400のフィルムなどは夢の夢だった時代だったのです。
F値が3.5以上の明るさのレンズは、ごく一部のカメラには付いていましたが、35ミリ用ではなく、50ミリF1.5というレンズがライカにつけられたことがあります。しかしこのレンズはライカ純正ではありませんでした。 ツアイスイコンが、コンタックスを発売したと同時に、ゾナー50ミリの1.5と2が発売されたのは驚きだったでしょう。約2絞り明るいということは、感度25のフィルムで1.5を使うのと感度100で3.5を使うのと同じことです。

ライツ社は、必死になって大口径レンズを開発します。F2は自社開発のズマールをつくりだし、1.5はシュナイダー社の協力を得て、クセノン50ミリF1.5を発表します。しかし、カールツアイス財団とエルンストライツ有限会社の差は大きく、画質の差は、歴然とします。大口径の望遠レンズがありませんので、戦前の日本で人気のあったボクシングの試合で、ライカで撮ったものとコンタックスで撮ったものを、それぞれ大きく引き伸ばすと、ツアイスレンズはびくともしていないのに、ライカレンズはボケボケで使い物にならず、そういう撮影のときだけコンタックスが使われました。

そのころの日本のカメラはというと? ハンザキャノンにはニッコール50ミリの4.5/3.5/2.8/2.0/1.5がありました。(マウントの構造上交換レンズはなく、ボディが数種類あったために5種の標準レンズが存在しています。)1.5については金物は日本光学が作り、中身はゾナーではないか?というぐらい高性能だったと聞きます。 このように、光学系の発展はめまぐるしく進んでいきました。  

次回に続く!

 


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