昭和の夏休みの思い出:ラジオ体操

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ラジオ体操独り言

ラジオ体操と聞いて思い出すのは、小学生時代の夏休みの早朝体操である。
目をこすりながら正にいま起きましたと言わなくとも分かるていで、どこからともなく集まってくる小学生たち。
首には出席カードをひっかけていた。
体操が終わったら、出席印を押してもらうためだ。
その当時の写真を見たことがあるが、どう見ても体操と言えるような代物ではなかった。
早朝体操の目的が何なのかになるが、先ず第一は夏休みの規則正しい生活であり、そのためには規則正しい起床にあると言うことだったのだと思う。
それにしても、出席印を押してくれていたのは誰だったのか。ラジオ体操と言うぐらいだから、ラジオをかけてくれていたのは誰だったのか。
もう記憶はないけど、眠たい目をこすって出席し体操が終わったら家に帰ってまた布団の中に潜り込んでいたと言う記憶がある。
本来の趣旨からはかなりかけ離れた夏休みの生活を送っていた私の小学生時代の本当の姿であった。
ラジオ体操
私がいま記憶にあるのは小学3年から4年にかけて通った可部小学校の時代のラジオ体操ぐらいである。
とにかく父親の転勤が多いものだから、転校で小学校を4校、中学校を2校経験した。
小学校1年から2年は益田小学校だった。夏休みのラジオ体操の記憶はないが、たぶんあったんだろう。
可部小の次は広島市内の三篠小だったが、記憶が間違ってなかったら、もうそのあたりでラジオ体操はなかったのではないかと思う。

ところで最近の小学生は夏休みのラジオ体操なんてやっているのだろうか。
何となく今の時代だから、自主性を重んじて集団でのラジオ体操はもう行われていないような気がする。
我々の小学生の時代にはあったものが今では廃止されているケースは他に色々あるのではないか。
よく言われるのが、確か運動会の徒競走には1番、2番なんて着順を着けないと言ったことを聞いたことがある。
順番をつけるのは良くないとの理由とか。
それこそ理解に苦しむ。そう言っておいて、勉強ではきっちりと順番をつけるのだ。
昔は勉強の方の成績はよくなくても、運動会でヒーローになる子がいた。
クラス対抗リレー
年一回の運動会ではクラスを代表するヒーローとなれる。そんな子がいてもいいはずである。
クラス対抗リレーで赤いタスキをかけて、アンカーをつとめる。それは誇らしかった。
私も中学校時代からは足の速さが認められ、毎年の運動会ではリレーでアンカーを務めたものである。
小学校時代は徒競走でビリだった私が、何を間違ったのか中学生になってからは周りも驚く俊足の持ち主となったのである。
親もわが子のそんな姿が嬉しいとみえて、トラックの第3コーナーあたりでカメラを構えて我が雄姿を撮ってくれたのだった。

いまでもやられているなら大変けっこうは事であるが、次代を担う子供たちが一団となって夏休みのラジオ体操に取り組む姿はある意味頼もしい光景ではないだろうか。