トリスタン ●会社経営 (63)
小学生のころ、夏休みになると、近くの温泉へ家族で数日出かけるのが、決まりごとのようになっていた。
といっても、宿では自炊といって自分たちで食事を作り、父は時折仕事の合間をぬって駆けつけるといったような状況だった。
六年生の夏休みも終わりに近づき、温泉から帰る日がきた、いつもの夏と違ったことは家族が付き添わず、弟と二人でバスで帰ることになったことだった。バスは込んでいた。
通路に立っているのも苦しいほどで、不安でいっぱいだった。バスは山道を左右に大きく揺れながら走っていた、必死になって立っていた私に隣に立っている大人のお姉さんが声をかけてくれた。
「大丈夫よ、もっとこっちへいらっしゃい」
そしてやさしく両腕の中へ抱きかかえてくれた。
甘いほのかな香りと柔らかな体の感触が私を捕らえ、バスの中は別天地となった。
明日から学校の始まる夜、山のような宿題を前にして、夜明けまであのバスの中の出来事だけを繰り返し繰り返し考えていた。