備中高松攻め

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山本信弘  ●会社員 (60)

秀吉は信長の命を受けて、中国地方の攻略に赴く。
あの本能寺の変が起きる前のことでした。

備中高松城の水攻めが続いていた。
そろそろ秀吉軍の勝利が見えて来てからのことだったのでしょう。
秀吉はみずから信長の元を訪れ、
信長に出陣を請うたわけでした。

城攻めの仕上げは上様(信長)にお願いしたいと言う名目で。
実のところは、秀吉で充分勝利できたわけですが。
城攻めの勝利の栄誉は信長に残しておいたんですね。
計算された心憎いまでの配慮、
いかにも秀吉らしい気の配り方です。

信長とて秀吉の考えるところぐらいお見通しではあった。
信長も、(猿め、味なことをするわい)とでも思ったのでしょうが、
備中高松に出陣することとなったのでした。

ただ本能寺で信長は光秀に討たれてしまい実現はしませんでしたが。

この秀吉と信長のやり取り、現代にも通ずるものがありますね。