武田 ●会社員(53)
京都、私の好きな町である。
一度も住んだことはないが、学生時代よく訪れたものである。
最初は京都の町へと言うより、弟を訪ねてのものだった。
学園紛争賑やかなりし頃のことである。
ヘルメットを被って活動する弟のことが心配で毎週のように通った。
夜行列車に乗って朝早くに京都に着いた。
駅から弟の下宿に向かった。
兄弟としての話であるから、そんなに逼迫した感じなどはなかった。
いつもウイスキーレッドの大瓶を買って二人で飲みながら話は進んだ。
最後は飲み潰れて二人とも大の字になっていた。
そんな時、階下からもれ聞こえる京都弁に何度か目を覚ましたものである。
「おばあちゃん、居てはりますか?」
年のころなら30ぐらいの女性の声だったろうか。
弟と大学のこと、活動のこと、はたまた親のこと特にはおふくろのこと、そんな話のあとだけに枕の下から聞こえてくるその声に心ひかれるもの
があった。
そんなことを繰り返していくなかで私は京都の虜になっていった。
一時期京都弁と関西弁とが混じり合った可笑しな日本語を話していた時期もあった。
時は流れ、学園紛争も過去のものとなり、年もいつの間にか重ねてしまったが、あの時枕の下から聞こえて来たあの声だけは耳を澄ませば今でも聞こえてくるような錯覚に陥るのである。