祐衣 ●主婦(50)
人生はドラマに例えられる事が多い。
もちろん主役は自分自身だ。
テレビドラマや映画は主役と脇役がはっきり決まっている。
それは、ある人生の一部分を切り取り映像にしているからに他ならない。
人生は生まれてから死ぬまでの連続ドラマ。
自身の人生には、様々な人が登場する。
その人達も、それぞれのドラマを持っている。
同時進行しているそれぞれのドラマが絡まり合い、より面白い一本のドラマが生まれる。
それぞれの人が、その時々に主役になったり、脇役になったりしなければ、うまくドラマは進まない。
停滞してしまったドラマは、見ている人も面白くないだろうし、演じている人も満足できる物ではないだろう。
その時々に、誰が主役を張るか、脇役に回るか、阿吽の呼吸で交代できれば、とてもスムーズなドラマ進行になり、演者・観客共に満足できるだろう。
テレビドラマの脚本には、人物設定があるが、人生の脚本には書かれていない。
成長しながら、自分自身で探って作っていく他、術は無い。 長い時間をかけて探り当てたと思った自身にフト疑問が湧く事もある。
人間とは誠に厄介な生き物だと思うのは、こんな瞬間だ。
自身に疑問を持つと、全ての事に疑問が湧き始める。疑心暗鬼の虜となり、自身の中で堂々めぐりが始まる、ドラマは停滞する。
一時、ドラマの舞台からは退いたほうが良さそうだ。回りが演じるドラマをじっくり見ていよう。 その中にヒントが隠されているかもしれないから。
どの辺に自身の存在価値があったのかも判るだろう。それからでも遅くは無い。
何も、自らドラマの幕を閉じてしまうほどの問題でもなさそうだと判るから。