エレキの歌合戦
60年代半ばのことだ。
一気にエレキブームが日本全国を覆い、どこでもかしこでもテケテケ。
高校1年だった私の弓道部のひとつ上の先輩が学園祭の舞台でバンドの真ん中でエレキギターを弾いていた。
そのエレキバンドに与えられた時間はわずか20分だったが、近くの女子高(私の高校は男子校で、普段は女子高生が校庭になど入って来ることなどない
ことではあるが。)から女子高生が大挙して、わが男子校に押し寄せて来たのだった。
ダイヤモンドヘッド、ウォークドントラン、十番街の殺人と、ザ・ベンチャーズのヒット曲を一気に演奏して行く。
女子高生のキャーキャーと言う黄色い声がさらに興奮の度合いを上げて行く。
カッコいい先輩がさらに格好よく映ってみえた。
聴いているだけで鳥肌もので強烈な印象を受けたものだ。
ただ、あまりにも過激なそのブームに大人たちは、エレキをやる者は不良とまでレッテルを貼る始末だった。
わが高校のひとつのバンドグループが学校に無断で、エレキの歌合戦に出場したと言う理由で1ヶ月間の停学処分を受けたこともあったくらいである。
そんな世の風潮の中でと言うのか、私はクラブ活動と勉学に励むという極一般的な高校生活を送っていたのである。
大学に通う頃には、一大フォークブームでエレキと接することもなかったのだが、四年後就職して社会人となってから、今度は毎年やって来る
ザ・ベンチャーズの公演に通うのだった。
身体に突き刺さるようなエレキの強烈な音に酔い痴れたものだ。
大阪ではフェスティバルホール、東京では中野サンプラザと本当によく通った。
会社で課長代理となり、部下を結構持つようになってからもザ・ベンチャーズの公演の日は、その日の朝礼で、公演に出かけるからその日は残業なしとまで
言ってしまう本気度である。
毎年、中野サンプラザに通っていてある時はっと気がついたことがある。
長年通っているのだから、気がつくとかのレベルではないはずだが、ある時まわりのカップルがそれなりに歳を取り、小さかったお子たちがいつの間にか成人して
孫を連れて親子三代で公演に駆けつけているのだった。
エレキは聴く側だったはずが、いつの間にか音楽教室に何年か前から通うようになり、私本人は親父バンドをいつかやりたいと家族には説明している。
しかし元来の飽きっぽさは変わるわけでもなく、いつになったらその域に達するのか、上達しないのを手先の不器用さのせいにしている現在である。
冗談はそのへんにしておいて、現在は最後の望みをボーカルの世界においているのが、今の自分である。
年一回の生バンドをバックに歌う発表会、何がいいかってやっぱりエレキギターのあの音には大いに勇気をもらっている。