ロッテオリオン’S ●会社員(47)
川崎球場がそう呼ばれるようになったのは、やはりあの時からなのだろうか。
それまでパ・リーグの試合を見ることはほとんどなかったと思う。
ただ近鉄が優勝をかけて挑んだロッテとの最終戦、舞台は川崎球場だった。
いつものように夜遅く仕事を終え、片道40キロの帰りの車の中で、私はラジオのスゥイッチを入れた。
ラジオからロッテ・近鉄の実況中継が流れてきた。
人とは変なものである。
それまでは別にファンでもなかったのに、近鉄に優勝させたいと言う思いで、車を走らせた。
家の駐車場に車を入れた時点ではまだ決着は付いていなかった。
私は車のエンジンを切って、試合の成り行きに、近鉄の応援に一生懸命だった。
両手を合わせて、一人車の中で近鉄の優勝を祈っていた。
しかし不幸にも近鉄・阿波野がホームランを浴び近鉄の勝利はなくなり、その時点で近鉄の優勝も消えてしまった。
車を降りて家に入った。異例にもテレビがロッテ・近鉄戦を実況中継していた。
優勝の二文字が消えた近鉄ナインが最後の守備に付いていた。
後はただ黙って涙する自分がそこにいただけだった。