団塊の世代のみなさん、そうではない50代・60代・70代・80代以上の皆さん、こんにちは”アキラ”です。
プロ野球中継がいつの間にか終わって、テレビはそのままつけっぱなしにしていたら、よくある、タレントが散策しながら街を紹介する番組が流れていた。
歌手の前川清さんとあともう一人はお笑い系でよく見る顔ではあるが、名前までは分からない、その二人がお喋りしながら散策していた町、それは懐かしい山口であった。
山口と言えば、私の中学1、2年の2年間住んだことのある街である。
通っていたのは、大殿中学校。
名前からして、当地をご存知の方にはお分かりかもしれないが、古くは守護大名としてこの地を収めていた大内氏の所領であった。
そこから来た名前だと思っている。
西の京として町を整備してきたのは正に大内氏であった。
私のいた頃から、学問の町としての気概を持ったところだと思っている。
私が住んでいたのは国宝瑠璃光寺五重塔のよく見える、近くの官舎だった。
そこから真っ直ぐに延びる道を進んで、河にぶつかり橋を渡ったところが、大殿中学だった。
いつも近くの友達と一緒に3人で通ったものだ。
休みの日とかには近くの野田神社に3人で行って、ソフトボールで遊んだ覚えがある。
一人が投げて、一人がバッターとなり、打ったボールが社を越えたらホームランと3人ではしゃいでいたものである。
いま知ったのだが、明治維新の功労者である藩主毛利敬親公を祭っていると言う。
中学生とはいえ、大変失礼なことをしたものである。
西の京として、京にある鴨川を模して造られたのが一の坂川である。
半世紀も経ってしまって記憶としてよみがえるものは断片的であるが、いまにしても鮮明に思い出せるのは同級生だった初恋の女の子の笑顔だろうか。
ある時、おふくろの若い時のモノクロの写真を見ていて、はっとしたことがあった。
それは、その初恋の女の子の雰囲気そのままだったことである。
話を題目に戻すと、新宿区の100分の1の人口密度しかない山口市。
そのことを聞いた時に、思い出した話があった。
それは、中学生時代に耳にした話である。
たぶん、山口市だけのことではなく、例は全国にあると思うが、蒸気機関車のための鉄路が全国に配置されていく中で、山口では、あのような黒い煙を吐き出して走る蒸気機関車が町の中を通過していくなど許せないとして街中から排除したんだと聞いたことがある。
いま実際に地図を見て確認しようとしたが、当然当時の町の様子と違うものだから、それ自体ははっきりとはしない。
人口密度の問題との接点はどうもハッキリとはしないままで終わりそうである。
しかし、大殿・大内氏が京を模して造ろうとした、美しい街を残して今に至ることだけは間違いないようである。