団塊の世代のみなさん、そうではないみなさん、こんにちは”アキラ”です。
いままでも、これからも
未来にかがやく、その日まで
君が涙を流すなら、君の涙になってやる
カープのエース、黒田博樹」
カープ・黒田博樹選手がFA資格を取得、そのシーズン最後の旧広島市民球場のライトスタンドにその横断幕は掲げられた。
あの光景は何年経っても忘れることはない。
当時は特に、ぼろぼろの狭い球場、観客もまばら、唯一の救いは、弱いチームを応援する大いに熱きカープファンくらい。
その熱さはいまだに健在である。
当時、広島での最終戦については、外野席は無料開放だった。
そんな訳だから、外野席は結構入場者で埋まっていた。
私は最終戦には毎回通ったものだ。
ただ、やっぱり只見と言うか、それでなくても入場者数の少ない球場である。
チケットを買って内野席で観戦するのが常であった。
あの当時の広島を思うと・・・・
当時はどう考えても優勝など期待出来るチームではなかった。
観客もまばらな、狭く暗い球場である。
選手を引き止めるなど至難のわざである。
何人の選手が出て行ったか。
ファンとしてはただたださみしかった。
新井さんのときのことはよく覚えている。
新井さんについて、私が阪神ファンになればいいだけの話とは、なかなかそうはいかない。
選手は他のチームに行けるかも知れないが、私はカープファンを止めるわけにはいかない。
ただ悔しさだけが残った。
でも諦めだけはついていた。
弱いチームを応援して何が楽しいの?なんて他のチームのファンから言われたことだってあった。
もともと、広島ファンでもなく、他の球団のファンだった私が何故24年前に改宗したか。
まあ、それはまた機会があればと言うことにしておこう。
今は違う!球団史上初のリーグ3連覇
14年にカープ女子と言う言葉が流行語大賞となり、カープ女子が全国の球場に出現するようになった。
マツダはもちろんのこと、どこの球場においてもレフトスタンドは赤く染まるようになった。
どこにおいても、それ行けカープの歌声が響き、あのスクワット応援も全国的となった。
そんなチームが3連覇。
昨日は2年ぶりに日本シリーズ出場を決めた。
以前、野村謙二郎監督が言っていた。
- 日本一のファン
- 日本一の球場
- 日本一のチーム
いまでは、ファンと球場は間違いなく日本一。
残るは日本シリーズ優勝のみとなった。
丸選手の動向
そんなチームを出て行くってことがあるんだろうか。
腐っても鯛ってことがあるんだろうか。
世は平成から、さらに次の時代に移ろうとしている。
昔からの伝統もいいけど、それなら、カープが新しい伝統を作り上げればいいだけのこと。
確かに親会社を持たない球団である。しかし、なんと言っても誇れることがある。
日本一の、熱く燃えるファンがいる。
それともメジャーと言うことになるんだろうか。
丸選手に続いて、FA可能な選手はこれからも続いて出て来るんだろうけど、熱きファンの伝統だけは消すことは出来ないだろう。
松田元オーナーが常日頃言われている事がある。
「広島にこの球団を残すのが、私の使命である。」と。
この熱き想いを残すのが、我々カープファンであるとでもしておこう。