KYBのデータ改ざん:そんな事件がやたらと世間を騒がしている

KYBのデータ改ざん

団塊の世代のみなさん、そうではない50代・60代・70代・80代以上の皆さん、こんにちは”アキラ”です。

タイトルの通り、最近特に耳にするのが、データ改ざんだ。

一定の基準に満たないからと言ってデータを書き換えれば、とりあえずそれで事足りる。

そう考えていると言うことか。

でも、そんな考えで自社の製品を世の中に送り出しているのか。

それは現場での判断なのか、まさか会社トップの判断ではないと考えたいが。

そうは言っても、ある銀行では会社全体で融資資料の改ざんを行っていたと言う。

あの銀行、元気のいい会社だと言うのは仲間内では前からそう聞いていた。

でも、そうして不完全なものを世の中に送り出して来たのだ。

それくらいのことなら大丈夫と高をくくっていたのだ。

それにしても、そんな会社がこの世の中にどれだけ存在するのだろうか。

耐震偽装と言う言葉が世の中を震撼させたのはもう随分前のことと記憶する。

ニュースとしては盛り上がったが、それ以降どうしたのだろうか。

偽装されたようなマンションに住む方の身にもなってみろと言うものだ。

今回聞いた耐震にかかる、データ改ざんのあった製品が使われている建物は随分あると言う。

そのデータ改ざんのあった製品が、そのマンションに使われているかいないのか、それは公表しないで欲しいとは、あるマンションの住民の声である。

その公表によっては、そのマンションの価値が大いに下落するとなれば、それはもうたまったものではない。

一夜にして悲劇の主人公となる人間が多数出ることになれば、データ改ざんの主は謝ったくらいで済むことではなくなる。

それにしても、その謝罪会見も見飽きたと言っていいだろう。

頭を下げていれば、その内その手のニュースにも飽きて忘れてしまうだろうと言うくらいにしか考えていないのだ。

そんなことを考えながら、ふと私の身近な世界のことを考えてみた。

トップのあり方次第で、その下の者たちの行動は自ずと変わってくる。

ある会社で、こう感じたことがあった。

ここの会社はみんなそれぞれが社長なのか、与えられてもいない権限を持って各自勝手に決裁していると。

そんな会社のトップに限って、全体を掌握できない自分のことを棚にあげて、自由とか自主を言う言葉を使いたがる。

それにしても、一定の基準のある物なら、その基準をクリアさえすれば先ずは合格と言えるのだろうが、やっぱり一番厄介なのが人間を相手にすることだろう。

言ってることと、心で思っていることは当然のように違うだろうし、感情と言うものもある。

その点、お金を扱っている自分なんかは楽だと思う。

お金は決して文句は言わないから。

ただし、そう言えるのには条件がひとつだけある。

それは、潤沢な資金が用意出来ている場合に限ると言うことである。

お金のないほど、惨めなことはない。

まったくの余談ではあるが、英語の「RUN」、これを我々は「走る」と言う意味で習って来た。

しかし、走る以外にも意外な意味があった。

それは、会社を経営すると言うものだ。

そこで、自転車をこぐ光景を想像して欲しい。

自転車操業とは良く言ったものだ。

自転車はこいでいないと倒れてしまう。

資金的な余裕のない会社は自転車と同じようにこぎ続けなければならないのだ。

英語のRUNがどんな意味合いから、経営すると言うふうになったのか本当のところはまた機会があれば調べてみたいと思う。

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