団塊の世代のみなさん、そうではないみなさん、こんにちは”アキラ”です。
あおり運転を思い出す
車を運転する者なら、経験をしている人は多いのだろうか。
私は10数年前に免許の更新を止めたが、
地方で自動車通勤していた頃には朝っぱらから、あおり運転:そんな目にもあったことがある。
こともあろうに、そのトラックは、私が勤める会社の社長と仲良しの社長が経営する会社所有の車だった。
当然のことながら、会社に着いたらすぐに社長に話して、相手の会社社長からその犯人をこっ酷く懲らしめてもらうよう頼んだ。
私が毎日運転していたのは、当時死の2号線と勝手に呼んでいた国道2号線である。
その国道を1時間近くかけての通勤だった。
その名前だけのことはあって、本当によく事故は起きていた。
それに通勤時間帯はやけに混んだものだ。
そんな状況下では誰だったいらいらが募るのか知れない。
相手はトラック、こっちは吹けば飛ぶような軽自動車である。
勝てるはずがない。
あおり運転からは逃げられない
私の弟も昔話していたことがあった。
高速道路を運転中に大型トラックにぴったりとつけられて、本当に冗談ではなく恐怖を感じたことがあったと。
タイトルは間違っていないと思うが、確か「激突」と言う外国映画があった。
あんな執念がとうして必要なのかよく分からないが、世の中よく理解できないことの如何に多いことか。
そのいらいらさえガス抜きできないような社会なのか、そんなことを考えていてふと思い出したことがある。
駅構内、通勤電車内での正にいらいらの根源のひとつが頭に浮かぶ。
我々は何かにつけて、我慢することを強いられて来ている。
しかもレベルの低い、無駄な雑音さえにも我慢することを要求されているのである。
イライラを誘発
以前にも別の機会で述べたことがあると思うが、昨夜の帰りの電車の中でのことである。
「電車到着が4分遅れまして、みなさまには大変ご迷惑をおかけいたしました。」
「心よりお詫び申しあげます。」
これは、その時の車内放送の一部である。
朝の通勤時もそうだが、夜8時近い時間帯の4分間の遅れがどうだと言うのか。
その放送になんの意味があると言うのか。
言いたいことはいっぱいある。
「発車までしばらくお待ちください。」
「信号が青になるまでしばらくお待ちください。」
数え上げたらきりがないほどである。
その一つひとつになんの意味があるのか。
極めつけは、「心よりお詫び申しあげます。」である。
毎日、こんな風に詫びを入れるばかりではないか。
それに、「心より」と、何と覚悟のない言葉遣いではないか。
あまりにも、何の覚悟もなく、軽く言葉を使い過ぎである。
ストレス社会はこんなことなのだろう
私が欲しいのは、ただ静かなホームおよび車内の環境である。
何の役にも立たない、やかましいだけの放送は即刻止めて欲しいだけのことである。
毎日、そんな放送を聞きながら、ここにいる皆はどう思っているのだろうか。
みんな、よく我慢してるなと感心しているのは私だけであろうか。
こんな事が四方八方世の中に蔓延しているとすれば、それはストレスも溜まるはずと納得してしまった。
ただ、車内放送で唯一悪くはないと思ったのが、日本語放送に続いて流れる英語放送である。
いつかそれと気づくようになって、もっとバリエーションを増やしてくれればと思うようになった次第である。
随分と話がずれてしまったが、いくら従順な日本人とはいえ、ストレスのはけ口は社会においても装置として必要と感じるのである。