団塊の世代のみなさん、そうではないみなさん、こんにちは”アキラ”です。
カープファン歴24年
団塊世代の私なので、生を享け70年弱になるが、実は、広島カープファン暦は24年です。
年齢からすれば、決して生粋のカープファンとはいえないからもしれない。
とはいえ、一口で24年と言うが、そのほどんどは悔しい時間の連続だった。
それまでの流れを紹介したいと思う。
子供の時代:広島に引越し
もともと親父と共に、セ・リーグの別の球団のファンであった。
小さい頃から、テレビで見るとしたら、放送されていたのはその球団の試合だから、我々に選ぶ権利などない状態だった。
それが、ある時親父の転勤で広島市内に引っ越すことになった。
初めての広島での生活が始まったのだった。
その広島で、親父は驚くような、びっくりすることを経験することになるのだった。
仕事を終えて帰って来た親父と家族で夕食をとっていた時のことだった。
父親の一言
親父が口を開いた。
- 「広島に移って来て、正直びっくりしてることがある。」
- 「広島カープが勝った翌日の部下たちの動きは本当にいい。仕事がスムーズに進む。」
- 「一方、カープが負けた次の日の部下たちは意気消沈してると言うか、仕事の進み具合が悪い。こちらから声をかけるのも、はばかられる状態だ。本当に大変なところに転勤になったものだ。」
親父がそう言っていたことは今でも忘れられない。
カープファンになったきっかけ
それから30年近く、親父の転勤で広島を離れたことから、カープとの接点などないまま、時間だけは過ぎて行った。
ただ、その間も野球好きに変わりはなかった。
私が突如として、なぜかカープファンとなるには、はっきりとした理由があった。
それは、松田元オーナーのテレビインタビューでの発言がきっかけとなったのだった。
その頃のカープと言えば、ただ弱いだけのチームだった。
松田元オーナーの言葉
そんな時に、オーナーはこう話されていた。
- 「野球人としては言ってはいけないことかも知れない。」
- 「プロ野球のオーナーである限り、優勝を目指してやって行く、それは当然のことである。」
- 「しかし、負け惜しみではなく、18歳で子供たちがカープに入団して来て、厳しい練習の中で成長して行く、そんな後姿を応援してやると言うのも野球ファンのひとつの姿なのではないかと思う。」
遅まきながら
その言葉を聞いた時に、自分の中で何かが弾けた。
確かに別に自分が応援などしなくても、その球団は強いチームだった。
それより、スポットライトを浴びることはないかも知れないが、いろいろ環境はそろっていないチームでも一生懸命頑張っているプロ野球選手はいるのだ。
そう思った瞬間から、熱きカープファンに生まれ変わって行ったのだった。
折りしも、バブル景気ははじけて、所属していた不動産会社も立ち行かなくなる時を向かえ、私も已む無くその業界から足を洗うこととなった時のことであった。
カープファンになってからは・・・
それからは、ヤクルトファンの知り合いと連絡を取りながら、神宮に行っては3塁側内野スタンドで好きなビールを飲みながら、試合の勝ち負けに関係なく大いに盛り上がったものだった。
それにしても、あれから20年余り本当に優勝には程遠いチームだったが、神宮のレフト側外野スタンドの盛り上がりだけは誇ってもいい存在だった。
私も3塁側内野スタンドから左に、そのスクワット応援を見ながら、どれだけ勇気をもらったことか。
これだけ熱くカープを応援してくれるファンが関東にもいるんだと思うと、いつも熱いものを感じていた。
セ・リーグ3連覇
そして、こんにちのセ・リーグ3連覇。
夢のような時代の到来である。
2009年にカープファン倶楽部が作られてからの、私はその第1期生である。
最初の年、会員5千人で始めたファン倶楽部は来年度会員は定員数5万人となった。
それでも、まだまだ入会したいとの希望者は後を絶たないと言う。
カープバブル
うちの女房と老後は市民球場の年間指定席を手に入れて、現在の住まいを売却し、球場近くのマンションを買ってカープにぞっこん入れ込んで生活するかなんて相談していたが、年間指定席を手放す人もいないと言うし、球場近くのマンションもいつ買うチャンスとなるのか、カープバブルはまだ当分続きそうである。