団塊の世代のみなさん、そうではない50代・60代・70代・80代以上の皆さん、こんにちは”アキラ”です。
嘱託とはいえ、今週は東京本社にミニ出張との連絡が入り、東京在住の我らと3人でミニ同期会である。
大学卒業から45年、いまだに続くこの人間関係、もはや空気のようなものとでも言わないと説明もつくまい。
大学紛争の真っ只中、半年間の自宅待機の後に入学がかなった我ら。
構内には、インターナショナル、アジ演説が流れ、大学建物の壁には造反有理と乱暴に書かれた、そんな状況の中で我々の学生生活は始まったのだ。
すべてが新鮮で、ある意味、自由な空気に満ちていた空間でもあった。
我々が拠って立つべき場所を探してさ迷っていた時期である。
そんな時に、同じ体育会に集った我々なのだ。
練習後の道場では、肩を組んで、同期の桜を歌う我らの姿があった。
今の人には想像すらつかないであろう。
そもそも、同期の桜、平成の世では考えられない楽曲である。
そんなことを思い出していると、この45年間がどれだけのものなのか、自分が感じている以上の変わりようなのだ。
平成の今の人には想像つかないかも知れないけれど、その同期の桜もその成長過程の中で、我々は間違いなく踏み越えてきたのだ。
毎日のように夜遅くなると、ヘルメット学生が私の下宿を訪ねて来ては議論を交わしたものである。
他にもいろんな学生が訪ねて来ては議論を交わした。
考えは確かに、時に真反対のこともあったが、なぜか心は熱く語ったが、頭はいつも冷静だった気がする。
とにかく、あの頃の我々は議論すること自体が好きだった。
何時間でも話した。
お腹がすいてくると、下宿を抜け出して近くの屋台でまた話は続いた。
朝一番の路面電車が動き出す頃になって、やっとお開きである。
世間と言うか、いわゆる世の中の動きとは別の世界に生きている者だからこそ許される生活であった。
あの時代に交わした議論がその後の自分にどう反映したものなのか、まだ、その答えは見つかっていないのかも知れない。
それより、去年の3人でのミニ同期会と同じお店で、この週末は大いに飲み、大いに語りたいと思うのである。